The Asa Park PodcastというYoutubeチャンネルにアンディがゲスト出演しました。
2025/01/15にその動画がアップされています。
その動画はこちら
Andy Timmons | The Guitar Legend Shares his BIGGEST Music Secrets
動画のティーザとしては・・・
アンディ・ティモンズは、そのソウルフルなプレイとテクニカルな卓越性で知られる伝説のギタリストだ。セッション・ミュージシャンとしての初期から、デンジャー・デンジャーのメンバーとしてのロックな日々、そしてソロ・アーティストとしての成功まで、アンディの音楽業界での歩みを探る。彼は若いミュージシャンへの貴重なアドバイスを語り、たとえ流行が移り変わろうとも、自分だけの声に忠実であり続けること、そして自分の芸術を信じることの重要性を強調した。
また、現代音楽におけるギターのあり方についても深く掘り下げる。ギター・ソロは本当に死んだのか、それともこの楽器は何か新しいものへと進化したのか?アンディが自身の見解を語り、ギターが衰退からほど遠いと信じる理由を説明する。さらに、ギタリストがTikTokやソーシャルメディアを通じて大勢の聴衆にアプローチする現象、「GuitarTok 」の台頭についても解説する。
以下が文字起こしからの翻訳です。(AIにて)
アンディ・ティモンズは伝説のギタリストです!
Danger Danger の時代からソロ活動まで、アンディの演奏は世界中の数え切れないギタリストを、僕も含めて、インスパイアしてきた。
アンディはギターを持ってきてくれた。
僕らは音楽の道のり、演奏へのアプローチ、そして自身の音楽の背景について話した。
「ロックの世界で知られてるけど、調べたところあなたのバックグラウンドはジャズも含まれてるとか?」
アンディ: 「音楽の道のりを進むなかで、ただただやりたいこと、練習自体が好きだって気持ち、より上手くなりたいという気持ち。それが原動力だったんだよね。もっと良いミュージシャン、良いギタリストになりたいって。」
もちろんギターもたくさん弾いた。
これは本当に貴重だ。
ギタリストへのアドバイスがあるとすれば、
「もしそれが好きなら続けろ」ということ。
これがアンディ・ティモンズだ。
今日のゲストは、YouTubeで観てくださっている方には分かると思うけど、ギターを手にしてくれている。
「ギターを使って自己紹介してもらえませんか?」
アンディ: 「ああ、うん。」
――それではみなさん、アンディ・ティモンズです! Wow!
アンディ: 「これは光栄だね。みなさんこんにちは。Ace、呼んでくれてありがとう。すごく嬉しいよ。」
ホスト: 「一緒に話せて光栄です。実は昔、あなたは僕にとってギター・ヒーローみたいな存在だったんですよ。」
アンディ: 「おお、そうなの。ギター・ヒーローになりたかったんだ、僕みたいな?(笑)まぁそう簡単にはならなかったかもしれないけど。こうして話せて、本当に光栄だよ。ありがとう。」
ホスト: 「まずは、初めて音楽を知った記憶って覚えてます?」
アンディ: 「それはすごくはっきりしてて、何度も話してるんだけどね。母親が言うには、僕はまだ覚えてないけど、メリー・ポピンズ観てベビーベッドで跳ねてたとか、童謡を聴いてノリノリだったとか。
でも具体的に記憶にある最初の音楽の瞬間は“ギター”に関することで、ビートルズの“アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア”のインスト部分。
3人の兄がいて、僕は1963年生まれなんだけど、兄たちはリアルタイムでビートルズのレコード買ってた。その中で裏面に入ってたのが“アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア”だった。そこにギターソロがあって、歌じゃない部分に惹かれたんだ。
あのころは、大きなスタジオとかコンクリートの部屋でリバーブ(室内反響)録ってたりしたわけだけど、そのギターにかかってるリバーブのサウンドが子ども心にすごく印象的だった。
だから今でもわかると思うけど、僕ってアンビエントなサウンド(リバーブ的な広がり)大好きで。実際はこれディレイなんだけど、“Halo”っていう僕が開発に関わったエコー・ペダルで、デュアル・ディレイで音が重なり合ってリバーブっぽく聴こえるようにしてる。
僕にとっては常にオンにしてる“持続ペダル”みたいな感じ。音にずっと“ハロー”というかオーラを付与してくれるイメージ。誰かに言われたんだけど、『アンディはディレイをエフェクトとしてじゃなく、音色の一部として使ってる』って。そうなんだよ。だからプログラムの必要もなくて、これ1Aのプリセットを使うだけ。いくつか種類があるけど、僕はだいたいこの設定。そのディレイ同士が重なり合ってリバーブみたいになる仕組みで。」
ホスト: 「いいですね。実際にリバーブじゃなくてもそう聴こえる。」
アンディ: 「そうなんだよ。で、たまに本物のリバーブも足すことはあるけど、これは基本的にデュアルエコーの音が折り重なることでリバーブ感を出してる。僕にとっては常にオンにする“隠し味”みたいなもの。」
ホスト: 「速攻でギタートークに行きましたね(笑)。めちゃくちゃギターネタで嬉しいです。ちなみにElectric Gypsyの話にいきたいんですが、あの曲が最初に僕が聴いたあなたの曲だったんですよ。」
アンディ: 「おお、それは嬉しい。“Electric Gypsy”を知ってくれてるなんて光栄だよ。1993年にリフを思いついて、94年にこのギター(AT100)で録音したんだ。実は当時『Electric Gypsy』っていうジミ・ヘンドリックスの伝記本を読んでいて、そのタイトルを拝借したんだよね。かなりヘンドリックス的なフレーズから始まるし。
で、多くの人があの曲をカバーしてくれてYouTubeにアップしてくれてるけど、細かいニュアンスを再現するのって難しいよね。だから僕は自分のサブスクの教則サイトで“一音一音こう弾くんだよ”って説明してるんだ。」
(ホストがギターを弾きながら、ちゃんと音が再現できないと言い訳するやりとり)
アンディ: 「そういうこと(笑)。でもなんか嬉しいよ。結構、あの曲がきっかけで俺のとこに来る人は多いみたいでさ。」
ホスト: 「そう。僕があなたを見て思ったのは“単なるシュレッドギタリストじゃない、メロディが印象的”という点。80年代後期~90年代前半ってギター・インストのいわゆるギター・ヒーローがたくさん出てて、みんなソロを延々弾く感じだったけど、あなたの場合はちゃんとポップやビートルズ的な要素があると思った。」
アンディ: 「そうかもね。僕は子どもの頃からビートルズやポップな楽曲で育ったから、曲の構成とかメロディ重視な人間なんだ。もちろんサトリアーニやヴァイ、エリック・ジョンソンにはめちゃ影響受けてるけど、ベースにあるのはポップソングの美学なんだよ。それで“Danger Danger”にも入ったわけだけど、最終的には自分のバンド(Andy Timmons Band)をやりたくて、インストの道をずっとやってる。」
ホスト: 「ロックで有名だけど、実はジャズを学んでたって本で読んだんですが。」
アンディ: 「そうだね。最初は16歳まで独学で、そこから地元の先生に習って、ジャズ標準のコード進行とか教わり始めた。さらに大学では最初クラシックギター専攻、途中からジャズ専攻に変えて、マイアミ大学に行ったんだけど、そこはジャコ・パストリアスやパット・メセニー、スティーヴ・モーズが在籍してた有名校で。いろんな人の影響が一気に押し寄せたよ。まぁ僕はロック出身だから、彼らも逆に俺のロックエッセンスを面白がってくれたし。みんなでお互いに学び合った。先生のカリキュラムも良かったけど、一番は周りの仲間の存在だね。そっからテキサス行ったりニューヨーク行ったりで、Danger Dangerにも入ったし、その後は自分の道を進んでいった。」
ホスト: 「なるほど。じゃあ行き当たりばったりでなく、ギター1本でやってくぞ!と覚悟決めたのはいつ頃?」
アンディ: 「16歳ぐらいのとき、自分に足りない知識を学ぼうと思ってレッスン受け始めたあたりからかな。5歳から弾いてたけど、その辺で“この先ずっとギターで生きていくな”ってぼんやり確信した感じ。13歳でプロとしてクラブとかで弾いてたけど、KISSを観に行ったとき『これだ!』って強く思った。でもインディアナの田舎じゃ無理かなって(笑)。けどそこから大学行って世界が広がって、本当にいろんなチャンスが巡ってきたんだよね。結局Danger Dangerに入り、有名アーティストの前座をしたり、レーベルと契約して学んだり。ただ自分にとって“メジャーレーベルがゴール”ってわけじゃないと、そこで気づいたんだ。自分のアートをコントロールできないのは嫌だし、結局は自分の音楽を自分で作るのが大事って悟った。」
ホスト: 「確かに、メジャーレーベルのビジネス面ってアーティストに不利なところがあるから…」
アンディ: 「そうそう。それでDanger Dangerが契約解除されたとき、曲の権利とかも戻らなくて苦労したし。もうそういうのは嫌だと思ったんだ。それで自分のアルバム earX-tacy を自主制作して、雑誌に広告出して売り始めて。それを見てかつてのレーベルが『なんで送ってくれないんだ?』とか言ってきたけど、もうレーベルとかいいやって。そこからはインディーでずっと活動してる。まぁスティーヴ・ヴァイがFavored Nationsってレーベルで50:50の契約を提示してくれたのはすごくありがたかった。アーティストに権利をちゃんと残そうという人でね。彼は本当に素晴らしい人だよ。」
ホスト: 「ギターヒーローがいっぱいの時代があって、今はDJやラップがメインストリーム。ギターの地位が下がったんじゃないかみたいな意見あるけど、どう思います?」
アンディ: 「正直、あまり気にしてないんだよね。確かにNirvanaやPearl Jamが出てきて大きく潮流が変わったし、今ではPC使って誰でも曲を作れる時代。でもギターが好きな人は今でもいっぱいいるし、YouTube観てたら若い超絶ギタリストがたくさん出てきてる。確かに昔みたいに“ロックバンドで世界を目指す”みたいなのは減ったかも。でも僕はただ自分の音楽作ってるだけで、テクノやヒップホップが流行ろうが関係ない。クラシックが好きな人はクラシックやるし、DJが好きな人はDJやる。それでいいんじゃないかって思う。
Napsterの頃とか、音源がただでネットに出回ってショックだった時期もあった。でも結局YouTubeとかネットのおかげで僕を知ってくれた人も多い。だから悪いことばかりじゃない。シーンや流行に縛られず、自分の好きなことを続けるのが僕のスタイルかな。」
ホスト: 「なるほど。ところであなたはビートルズの曲をアルバムにしたり、クイーンのボヘミアン・ラプソディをカバーしたり、いろいろやってますよね。サージェント・ペパーのアルバムを丸ごとカバーした“Andy Timmons Band Plays Sgt. Pepper”はすごく素敵だった。」
アンディ: 「そうなんだ。最初は1曲、ストロベリー・フィールズ・フォーエバーをバンドでやってたら、イタリアのプロモーターに“全部ビートルズでライブやらないか?”って言われて『いや無理無理!』って最初は思ったけど、趣味で1曲ずつアレンジしてみたら、結果的にアルバムにできるレベルになって、スタジオで2日半の空きができたから録音してしまおうって。
ドラム担当のミッチがすごいRingo Starrのスタイルに通じてるから、バンドでやったらハマったし。ビートルズは神聖な存在で僕自身もカバーは微妙と思う人だけど、納得いく仕上がりになったからリリースした。あとクイーンのボヘミアン・ラプソディも同じようなきっかけで、映画観た後に衝動的にアレンジし始めたんだ。」
ホスト: 「最初に弾いた曲は?」
アンディ: 「最初に耳コピで弾いた曲は、4~5歳ぐらいでプラスチックギター持って、モンキーズの“(I’m Not Your) Steppin’ Stone”だったかな。あれを単音で弾いてたって兄から教えてもらって。その後、Rod Stewartの“Every Picture Tells a Story”のDコードを自力で合わせて弾いたり。KISSの“Alive!”も完全コピーしたね。Ace Frehleyのリフは13歳にはちょうどいい難易度でさ。」
ホスト: 「今でも他のギタリスト聴いて“うわ、こんなの無理だ”みたいに思うことありますか?」
アンディ: 「毎日のようにある(笑)。いろんな人がすごいから。でも大事なのは“自分が彼らと同じにならなくていい”って気づくこと。若い頃は凹んだりしたけど、誰もがAllan HoldsworthやYngwieになれるわけじゃない。そうじゃなくて、自分にしかないものを磨いていけばいいんだって。
欠点や限界が自分らしさを生むっていうのは、Mike Sternが言ってたけど本当にそう思う。David Bowieも自分を“革新的”と言われるけど『いや、僕はただのコレクターなんだ』って言ってたしね。結局は自分なりに集めた影響が自分流に出るってこと。」
ホスト: 「素敵ですね。最後にネットで見つけたコメントを紹介させて:“Andy Timmonsは現存する中でいちばんテイスティなギタリストで、あんなに感情を乗せられる人はいない。男を泣かすことができる唯一のギタリストだ。”」
アンディ: 「それは僕が単に微妙に音程外してるからかもしれない(笑)。まぁすごくありがたいよ。アートを作る者として“本当に自分自身を反映してる演奏ができているか”って常に思う。そこに心からの表現があれば、それが誰かに届いて、感動や共感を与えられるのかもしれないって思ってる。
ショパンの音楽もそう。あれはものすごく深い感情を感じる瞬間があって、僕はそこから大きなインスピレーションを受けてるんだ。
とにかく“ベストな自分を追求する”のが大事だよね。僕の情報はandytimmons.comにあるし、教則サイトはguitarexperience.net。ほぼすべての曲を解説してるから良かったら見てみて。タブ譜もあるし、細かいニュアンスも解説してる。ただ基本は“耳で聴け”ってことを強調してるかな。
あとは名前をGoogleやYouTubeに入れれば恥ずかしい動画が色々出てくるけど(笑)。人生の軌跡がたくさんあるから、よかったら見てみて。」
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