2025-01-05
Texas Homegrown Music with Maylee Thomas
アンディの旧友のMaylee Thomasのラジオに出演した時に音源を翻訳しました。
元のページはこちら。こちらにて音源が聴けます。
https://www.podbean.com/media/share/pb-2u7me-1798d50
以下、音源の翻訳(AIにて)です。
「みなさんこんにちは、メイリー・トーマスです。2025年、新年最初のショーをお届けします。今日は特別なゲストをお招きしています。実は私のとても親しい友人で、驚くほど素晴らしいミュージシャンなんです。5年前、私が音楽関連のインタビューを始めたとき、彼が初めてのゲストだったという、とても思い出深い方なんですよ。
今日はアンディ・ティモンズをお迎えして、音楽の道のりをいろいろお話ししようと思います。彼の音楽の遍歴については、10回番組をやっても話しきれないほど本当に幅広くて奥深いんですが、とりあえず今日は一曲、私とアンディが一緒に作ったレコード『Passion』からの曲をお届けしようと思います。もし興味を持っていただけたら、ぜひ聴いてみてくださいね。
このレコードは、文字どおり一緒に曲を書いて、レコーディングして、とても楽しい時間を過ごしながら作り上げた作品なんです。私にとっても、お気に入りのレコードのひとつですね。では、その中から“This Is Love”という曲をお送りします。スタジオで最初にレコーディングしたときと同じように、皆さんの心に響くといいなと思っています。
とても美しいラブソングです。それでは曲の後に、あの有名なアンディ・ティモンズ、ただのギタリストではなく、作曲家でもあり、とても上手に歌も歌えるし、素晴らしい人柄でもある彼と一緒に戻ってきますよ。本当にこの番組が楽しみです。それでは、テキサス・ホームグロウン・ミュージックからお送りいたします。
―――――――――――――――
(曲“This Is Love”)
さて皆さん、“テキサス・ホームグロウン・ミュージック”に戻ってまいりました。今日は特別ゲストとして、私のとても親しい友人であり、先ほど彼が言ってくれたとおり、私が5年前に初めてインタビューさせてもらったゲストでもあるアンディ・ティモンズをお迎えしています。あれから5年ですよ。本当に、私たちがスタジオにいて、2人ともマイクに向き合わずただおしゃべりしていたのを思い出します。今日はそんなリラックスした雰囲気でお届けできたらと思います。マイクなんてないかのようにね。とにかく、アンディ・ティモンズがスタジオに来てくれています。やった!
外で3人ぐらい拍手しているのが聞こえますね。そしてやっとコナーが直接会えました。こんにちは、ミスター・コナー。
アンディ、あなたは私の5年前の最初のインタビューのゲストだったって話をさっき思い出していたの。私たち、音楽を通じてだけじゃなくて、友人としても人生がずいぶん交錯してきたよね。ものすごく不思議な気分にならない? もう35年くらいの付き合いになるのよ。
アンディ「いやあ、それはすごいね。最初の頃のライブっていうと、ベートーベンズって場所でロバート・リー・コブと一緒に演奏したことを覚えてる。あとあのヴィレッジ・カントリークラブの屋外で、7月4日のイベントもやった。1987年くらいかな?」
メイリー「そうそう、1987年だったと思う。88年にはちょうどあなたがニューヨークに移る頃だったよね。だからたぶん87年だと思う。あのときロバート・リーがクレーンから吊るされて降りてきて、私たちは全身真っ白の衣装を着てたのよね。写真がどこかにあるはず。あの頃は、ロバートから電話がかかってきて、『みんな、今日は白を着てきて』とか、『今日は全身黒ね』とか言われて。とにかくあのギグに行って、あなたのギタープレイにすごく衝撃を受けたのを覚えてる。それで、そこからあなたは旅立っていったんだよね。」
アンディ「そうそう。ちょうどその頃、“デンジャー・デンジャー”に加入する話があって、彼らはニューヨークを拠点にしていたから引っ越したんだ。だけどテキサスには戻ってきてたよ。アンディ・ティモンズ・バンドもまだあって、87年に結成したばかりで録音も始めてたところだからね。最初に録ったデモ音源が、別のバンドがギタリストを探してるときに回って、それでいくつかの有名バンドから候補として名前が挙がったりしたんだ。たとえば“バッド・イングリッシュ”とか。これはクレイマー・ギターズのバディ・ブレイズって人を介して話が来てて、彼は“ジャム・マガジン”のデヴィッド・ハフを通じて僕を知ったんだ。デヴィッド・ハフはこのあたりじゃ音楽シーンでちょっと有名な人だけど、本当に感謝してるよ。で、バディ・ブレイズが“バッド・イングリッシュ”がギタリストを探してるっていうんで俺の名前を挙げてくれた。そこにはジョナサン・ケインとジョン・ウェイトがいて、もともとニール・ショーンがデモを手伝っていたみたいで。で、俺はオーディションして合格したんだけど、最後の最後にニールが戻ってきて、『実は他にも“デンジャー・デンジャー”ってバンドがあって…』みたいな話になって。まさに人生の分岐点だったよね。
ちょうどその時期、“タワー・オブ・パワー”からも誘いが来てたんだよ。ファンク系バンドの代表格だよね。」
メイリー「えー、35年も一緒にいて今初めて聞いたんだけど!」
アンディ「全部話すわけじゃないからね(笑)。でも今はもう全部ばらしちゃうけど。“タワー・オブ・パワー”の話もすごいんだ。大学(マイアミ大学)時代のテナーサックス奏者の友人がツアーでダラスに来てて、彼らのギタリストが抜けて“ローラ・ブラニガン”のツアーに行くことになったからギタリストを探してるって話だった。で、当時“ダラス・アレー”っていう地区の大きなクラブでライブがあるからって誘われて、“What Is Hip”や“Squib Cakes”っていう代表曲のレコードをデントンの中古レコード屋で買って練習して、その夜に飛び入りで弾いたらうまくいって、向こうは「オークランドに来ないか」って言ってくれた。でもそのときすでに“デンジャー・デンジャー”の話が来ていたから、MTVで活躍中のいわゆるポップ・メタル系バンドに行くか、ファンク・フュージョン系の超ミュージシャン寄りのバンドに行くか、という選択肢だったんだ。結局、ロックのメインストリーム路線が魅力的に映ってニューヨークに移ることにした。でもあのときあっちを選んでたら、人生全然違っただろうね。」
メイリー「どちらを選んでも上手くいったと思うけどね。結果的に“デンジャー・デンジャー”で大成功したし。実際アンディはどんなスタイルもマスターできるから。あの頃のあなたを見てると、マイルス・デイヴィスから声がかかるのを夢見てたようにも見える。あのマイク・スターンの大ファンだったでしょ。」
アンディ「そうそう。マイク・スターンは本当にすごい真のフュージョン・ギタリストで、ジャズにロックの要素をちょっと入れる人は多いけど、彼は本当にジミ・ヘンドリックスとかブルースを下地にしながら、チャーリー・パーカーのジャズフレーズも弾くっていう珍しいタイプでさ。彼が80年代初めにマイルスのバンドで注目を集め始めたとき、俺はもう“これだ!”って感じで、ひたすらいろんなスタイルを吸収していったんだ。そもそもギターが人生になるって覚悟したときから、あらゆるスタイルをやりたかった。カントリーでもクラシックでも『あ、ギターの響きが最高!』って思ったら飛び込みたくなるんだよね。だからいろんな場面で仕事できたんだと思う。」
メイリー「みんなもネットで調べてみたらわかると思うけど、アンディがやってきたこと、演奏してきた相手はもうリアン・ライムスからオリビア・ニュートン・ジョンの音楽監督まで、本当に幅広い。私もそのショーをいくつか観に行ったけど、あのときは本当に素晴らしかったよね。あなたの人生でも特別な時間だったんじゃない?」
アンディ「そうなんだ。オリビアとは15年間一緒にやっていたから、深い友情もある。彼女は僕の人生においても大きな存在で、彼女の癌との闘病経験が、文字通り僕の命を救ってくれたんだ。オリビアはいつも『もし何か体におかしいと感じたら、すぐお医者さんに行きなさい』と言っていて、そのおかげで僕も体がおかしいなと思ったタイミングで病院に行けた。あれがなければ結果は違ったかもしれない。それに命を救ってくれただけじゃなくて、本当に素晴らしい友情があった。彼女はとてもユーモアがあって優しい人。イギリスにもいたけど、基本はオーストラリアの人だから、独特のウィットと奔放さと心からの優しさがあるんだよ。」
メイリー「あなたも似たような、周りを明るくするオーラがあるものね。うちのジョージ(※メイリーのパートナー)と同じ感じで、ライブを見に行ったら、すぐ仲良くなって、気がつくと相手と友達になってるタイプ。」
アンディ「まあ、そうなのかな(笑)。でも子どもの頃はシャイな子だったんだよ。アメリカ中西部で育って、何もかもが遠い夢のように感じてた。でもありがたいことに、今こうして振り返ると、自分でも想像できなかった経験をたくさんさせてもらってる。一番大きいのは、『人と繋がりたい』という気持ちと、そこで出すポジティブなエネルギーなんじゃないかと思う。メイリーもそうだけど、やっぱりこちらが心を開いてポジティブな面を見せれば、それだけでいろんな壁が取っ払われる気がする。みんな同じ人間だし、基本的に誰だってそういう繋がりを求めてる。オープンでいてくれる人とは、どんな相手でも割とすぐに仲良くなれるんだよ。子供の頃のアレックス(アンディの息子)と一緒にスーパーに行って、店で人から声をかけられると『お父さん、あの人知り合いなの?』って聞いてきたり。でもただ笑顔を交わして『元気?』って言うのって、すごく簡単じゃない? それだけで相手の一日が良くなるかもしれないし。」
メイリー「そういえば、あなたの“Smile”のカバー(チャーリー・チャップリン作曲の有名曲)を聴いたの。子どもの頃、祖父がよく歌ってくれてて、それを思い出してウルッときちゃった。あなたも言うとおり、愛や優しさって大事よね。私も笑顔や親しみやすさを大事にしてきたから、いろんな扉が開いた実感がある。そしてあなたも同じタイプ。機材をセッティングする裏方のスタッフまで、みんなとすぐ打ち解けて友達になってる。だから一緒にコンサートに行くと、ピーター・フランプトンやジョージ・ソロなんかと腕を組んで歩いてたりして、私は『ああ、アンディといるとこんなことまであるのか』って思うわけよ(笑)。」
アンディ「まあ、それはただの俺の性分というかね(笑)。長年音楽やってるといろんな人に出会うし、同じクルーズに乗るアーティスト同士とか、割と狭い世界なんだよ。どこかで顔を合わせて仲良くなることが多い。で、一度挨拶するときなんかに『本当に素晴らしい夜だったよ、ありがとう』って言えたりすると、それがきっかけで繋がったりするよね。ピーター・フランプトンのライブをあなたと一緒に前の方の席で見ていたとき、彼が突然笑いだして、私たちを見て『君たちには一生わからないよ』って言ったの覚えてる? 何か舞台上で面白いことがあったんだろうけど、めちゃくちゃ印象的でさ。それから縁があって、今年だったかな、俺がフランプトンに捧げる曲を録音して、一緒にやる機会があった。」
メイリー「そうだったよね。あれは今年だったと思う。すごいよね。」
アンディ「実は2019年に彼のショーを見たとき、俺は本当に感動してね。子供の頃から兄が“ハンブル・パイ”から“フランプトン・カムズ・アライヴ”までずっと聴いてたから、もう血の中に流れてるくらいフランプトンの音楽が染みついてたの。で、そのライブを見て家に帰ってすぐに曲を書いたんだけど、それを“Sweetwater”という場所で録音する機会があった。だけどギターソロだけ録らないままになってて。それでまたフランプトンを見に行く機会があったときに、『この曲、ソロを弾いてくれないかな?』ってダメ元でお願いしたら、彼がすごく嬉しそうに『ぜひやりたい!』って言ってくれたんだよ。しばらく連絡がなかったから、俺も『無理しないで大丈夫だよ』って言ったんだけど、『いや、毎日少しずつ取り組んでる。今の自分にはこれが必要なんだ』って。自分が病気を抱えていても、何かやりがいのあることを続けたいという気持ちが伝わってきて、すごく感動した。そういう“楽しみ”が生きる力になるんだよね。」
メイリー「本当にそう。アンディを見てればわかるけど、練習や作曲に毎日励んでいて、どんなに素晴らしい演奏ができても、常に向上心を失わないのよね。どうしたらもっと良くなるか追求してる。」
アンディ「いやあ、来年1月頭にギターキャンプがあるんだけど、そこにジョージ・ベンソン、トミー・エマニュエル、ジョン・スコフィールド、スティーヴ・ルカサーが集まるんだよ! ジャズのトッププレイヤーばかりで、俺なんてジャズはかじる程度だし、すごく楽しみだけど緊張もする。あなたもジャズのアルバムを作りたいって言ってたけど、もう存分に勉強してくるよ(笑)。」
メイリー「期待してるわよ(笑)。あなたなら絶対素敵なジャズも演奏できると思う。とにかくあなたはどんな音楽でも美しく解釈できるから。次は、そのピーター・フランプトンとやった曲をかけたいんだけど、タイトルは“The Boy From Beckenham”というのよね? これは彼の出身地にちなんでいるの?」
アンディ「そう。ベッケナムっていうイギリスの町出身で、デヴィッド・ボウイとも幼馴染だったらしい。その辺はググってもらえれば(笑)。ともあれ、この曲は素晴らしいピーター・フランプトンのギターが入っているんだ。聴いてもらうのを楽しみにしてるよ。」
メイリー「わかった。じゃあ“The Boy From Beckenham”をここでかけて、その後、あなたが大好きなビートルズ関連の話を聞かせてもらおうかな。アビイ・ロードでのレコーディングの話があるんでしょう? あなたの曲って、あのメロディアスな感じからもビートルズの影響をすごく受けてるのがわかるから。それでは、アンディ・ティモンズと“あの”ピーター・フランプトンのギターが聴ける“The Boy From Beckenham”をどうぞ。テキサス・ホームグロウン・ミュージックからお送りします。戻ってきたらまたアンディとの話をお届けします!」
―――――――――――――――――――――
(曲“The Boy From Beckenham”)
―――――――――――――――――――――
「さあ、戻ってまいりました。“テキサス・ホームグロウン・ミュージック”です。ゲストのアンディ・ティモンズは音楽の知識が本当に豊富。私もジョージもよく、“Stump the Guitar Player”(ギタリストを困らせてみろ)の話をするんだけど、デントンの街角でそれをやってたって本当?」
アンディ「そう、“フライ・ストリート・フェア”っていうイベントがあって、今もあるのかな? 80年代半ばに俺がデントンに引っ越してきた頃、当時の彼女がフェイス・ペインティング(顔に絵を描く)ブースを出すって話で、俺にも何かやってみたら?って言うから考えて、昔ジョニー・カーソンの番組でやってた“Stump the Band”ってコーナーを思い出して。お客さんが無茶な曲のタイトルを言って、バンドがテキトーに演奏するってやつ。それを1人でやろうと。『Stump the guitar player』って看板を出して、お客さんに『曲名を言って、俺が弾けたら1ドル、弾けなかったらもう一曲選ばせてあげる』みたいな(笑)。そうするとみんながどんどんリクエストしてくれて、ビートルズや60~80年代のヒット曲なら大体弾けるからすごく盛り上がった。それから何十年も経つのに未だに『Stump the Guitar Player覚えてるよ』って声かけられる。『他にもいろいろやってるんだけどな…』って思うけど、まあ嬉しいよね。」
メイリー「ほんと、全然ギターで困ってなかったみたいよ(笑)。じゃあアビイ・ロードに行った話も聞かせて。そこまでビートルズ好きなアンディが、実際アビイ・ロードのスタジオに入って曲を録ったっていうだけで、すごいことだもん。」
アンディ「うん、まさに夢だったね。そもそものきっかけは、長年の友人であるデニス・ポーゲンバーグとクレイグ・ホプキンスがいて、クレイグがビートルズ関連の著書を何冊も出してる有名な作家なんだけど、彼がイギリスでビートルズゆかりの地を巡る“最後の旅”を企画してて、『一緒に行かないか?』って誘われたんだ。ちょうどリンゴ・スターのライブで会ったときにね。それで俺も『ぜひ行きたい!』ってことになった。イギリスにはツアーで何度も行ってるのに、実はリヴァプールに行ったことがなかったから。
で、どうせ行くならアビイ・ロードのスタジオでセッションができないかって話になった。あそこは現役のレコーディングスタジオだから、お金を出せば借りられるんだけど、それでもなかなか難しいんだよね。でもなんとか10時間のセッションを予約できたんだ。さらにリヴァプールではキャヴァン・クラブでのソールドアウト・ショーもあって、盛りだくさんの旅だったよ。
とにかくスタジオ2に入ったときは、もう圧倒された。そこはビートルズの80%ぐらいの曲が録音された部屋で、今もほとんど当時の姿を保ってる。あの有名な階段を上がるとコントロールルームで、ビートルズが録音をチェックしてた場所だけど、もちろん機材は現代化されて大きなNEVEの卓が入ってたりする。でも階段や部屋の雰囲気はずっと変わらなくて、ずっと見てきた映画の中に自分が入っちゃったみたいだったよ。
今回は、デニスとクレイグもギターやピアノを弾くから、彼らの演奏を録る時間も設けて。俺はというと、10時間のうち何をやろうかって考えてたら、ジョン・レノンの未発表曲(正確にはビートルズでは未発表)で“I’m In Love”というのがある。この曲はビートルズ全盛期にジョンが書いて、他のアーティストに譲ったものなんだ。フォアモースってバンドが録音したんだけど、オリジナルのジョンがピアノ弾き語りしているデモテープがある。これがめちゃくちゃ良い曲で、ビートルズが自分たちで録音してたら“I Want To Hold Your Hand”並みに名曲になってたんじゃないかと思うくらい。それなら、俺がもしビートルズがやってたらこんな感じかなっていうアレンジで録ってみようと。
事前にエンジニアに『狙いは1964年のビートルズサウンドだ』って伝えたら、当時使われてたマイクやドラムセット、VOXのAC30なんか全部用意してくれて。ドラムはラディック、ベースは当時風のアンプに通して、友人のダニエル・スタインハートが1961年製のVOX AC30を持ってきてくれた。だから当時のビートルズ風のセッティングで、俺が全部の楽器を重ね録りして、ボーカルもジョンやポールが使っていたのと同じマイクで録ったんだ。もう信じられない経験だったよ。
残念ながらスタジオに撮影クルーを入れるのはすごい追加料金がかかるから断念したんだけど、デニスがiPhoneで動画を撮ってくれて、それをうまく編集してYouTubeに載せたら十分いい感じに仕上がった。スタジオから帰国してからアコギのパートを入れ直したりしたけど、ギブソンJ-160Eとか当時ジョンが使ってたようなモデルを使って、とことんビートルズっぽく。“ここで録るんだ”って気合が入ったし、それが自分なりに“もしビートルズがこの曲を録音していたら”というイメージで表現できたかな。ビートルズ研究の第一人者マーク・ルイソンとか、マニア仲間の人たちも『これは素晴らしい』って言ってくれて、うれしかったね。自分としてはただの愛情とリスペクトを込めた“趣味の延長”みたいなものだけど、本当に一生の思い出になった。」
メイリー「それは本当に貴重な経験だったね。あんなにビートルズを愛してきたあなたが、そこに実際に立って、自分の音楽を録音するなんて、夢が叶った瞬間でしょ? しかも周りにはマニア中のマニアがいて、アンディですら圧倒されるような情報を持ってる人たちがたくさんいたわけだし。」
アンディ「そうそう。クレイグ・ホプキンスやデニス・ポーゲンバーグ、それにマーク・ルイソンの会話なんかもう“超濃厚”なビートルズ談義で、録音も失礼だからしてないけど、後から『あれなんて言ってたっけ?』って記憶を寄せ合って、クレイグが本にまとめてくれたんだ。同じ体験をしても、一緒にいた人数分の視点があるから、早めに記録しておかないと風化しちゃうからね。」
メイリー「やっぱり書き留めておくのは大事よね。もう聞いてるだけでワクワクするわ。そういう貴重な体験談、もっともっとあるんだろうけど、今番組の時間が限られてるから、ひとまずあなたが“アビイ・ロード”で録音した“I’m In Love”をこれからかけたいと思うけど、これはジョン・レノンが1963年頃に作って、フォアモースが録音した曲のセルフアレンジカバーよね?」
アンディ「そう。ビリー・J・クレイマーも仮に録音してたけど、未発表のままだったんだよね。ジョンが弾き語りでデモを残してて、それを聴いたら本当にビートルズ初期のポップさを感じて、もしビートルズ本体が録音していたら…ってずっと思ってた。そんな曲を実際にアビイ・ロードで、“あの時代”の機材で録るって最高でしょ。」
メイリー「すごくいい話。じゃあみなさんにその曲を聴いてもらいましょう。アンディが大好きなビートルズの未発表曲を、ビートルズがやっていたらこんな感じじゃないかというアレンジで録音した“I’m In Love”。私ももう大好き。この曲を聴いたあと、またアンディとお話し続けます。ここまで聴いてくださった皆さん、引き続きテキサス・ホームグロウン・ミュージックをお楽しみください!」
―――――――――――――――――――――
(曲“I’m In Love”)
「さて皆さん、うれしいお知らせです。アンディがテキサス近郊でライブをやります。1月11日(土)にマッキニーの“The Sanctuary”という会場で演奏しますが、まだテーブル席が少し残ってるみたい。でも確実にソールドアウトになるので、早めに予約してくださいね。アンディをまだ聴いたことがない人は、ぜひこの機会を逃さずに。もう彼のライブを観たことがある人はたくさんいるみたいで、みんな殺到しています。アンディ、The Sanctuaryであなたが演奏するときは、本当にジョージと私にとっても大きな楽しみなの。そもそもジョージが“The Guitar Sanctuary”をオープンするとき、あなたの存在がすごく大きかったのよね?」
アンディ「そうだね。ジョージとは88年くらいから知り合いだったから、ずっと彼がギターショップをやりたいって言ってたのも知ってるし、実際ジミー・ウォレスと一緒にやってたこともあったよね。だから、今ああいう素晴らしいお店があって、その隣に会場も作ってくれて、俺にとってはホームみたいな場所なんだよ。」
メイリー「そうなの。うちらにとっても宝物のような存在よ。あなたが1月11日にそこに来て、その翌週にはニューヨークに行くのよね?」
アンディ「そう。1月17日と18日にニューヨークのイリディウムでやるんだけど、18日はすでにソールドアウト。17日にはまだ席があると思う。それが終わったら、2月末からイタリアを11公演回る予定だね。あとNAMMショーもあって、そっちへ行くのが1月23~25日。21日にはカリフォルニアに行って、ニューアルバム『Recovery』のマスタリングをジョシュ(・スミス)と一緒にやるんだ。」
メイリー「わあ、“Recovery”についても聞かせて。個人的に思い入れがある曲がいくつかあるんでしょ?」
アンディ「うん。アルバムタイトルの“Recovery”は、いろんな意味を込めてる。一般的には『依存症からの回復』とかAA(アルコホーリクス・アノニマス)のイメージがあるけど、俺の場合はもっと広い意味で“毎日が回復の連続”って感覚なんだよね。ツアーからの回復もそうだし、人生のいろんな浮き沈みからの回復もある。それこそメイリーもそうだと思うけど、お互い感受性が高いから、ちょっとしたことでもものすごく揺さぶられるし、誰かの悩みを聞いたら自分のことのように抱えてしまったりする。アラニス・モリセットのインタビュー動画を最近観たんだけど、彼女も感受性が高すぎて人の波動とか影響を受けやすいって話をしていて、すごく共感した。彼女いわく、普通の人が部屋に入って50個のことを認識するなら、エンパス(共感力が非常に高い人)は500個認識するって。確かに、人混みに行くだけで疲れちゃうことあるもんね。でも逆に、同じ目標や想いを持った人たちが集まる場所、例えばコンサートとか教会なんかだと、その共有してるエネルギーがすごいパワーをくれる。
だから、そういう敏感さゆえにダウンしてしまうこともあるけど、その一方でそこからの“回復”があって、それを音楽に込めたのがこのアルバムなんだ。中でも“Something Good’s Gonna Come”という曲があって、これは文字どおり『どんなに暗い時期でも、そこから何か良いことが生まれてくる』っていう思いを歌ってる。夜明け前がいちばん暗い、みたいな言葉はあるけど、本当にその通りで、そこを乗り越えれば必ず美しいものに出会える。そこに行き着くまでが大変だったりするんだけどね。」
メイリー「わかるわ。夜が明けたときの開放感ってあるもんね。私も子どもたちに『大丈夫、必ず好転する』っていつも言ってきた。自分1人で乗り越えられないときは、友達や家族に頼ればいいし。そのためには自分自身をちゃんとケアして、周りにも手を差し伸べられるようにすることが大事よね。」
アンディ「本当にそう思う。だから最近、俺は“質”を重視していて、自分自身が真にやりたいこと、なりたい自分でいられるようにして、少しでも周りにいい影響を与えられるように、健康面も含め気をつけてる。メイリーも似たタイプだよね。“ラブ・ライフ”な人だと思いきや、実は落ち込むときもあるし、理由もわからないまま凹んだりする。でもそれは敏感なせいもあるよね。」
メイリー「そうなのよ、私の場合、ホリデーシーズンとかに急に悲しくなったり。理由はわからないんだけど、昔を思い出したり失った人を思ったり、いろいろあるのかもしれない。でもそういうときほど、自分を大事にして、周りも大事にして、みんなで乗り越えていくのがいいんだと思う。」
アンディ「そうそう。周りの人で大変な状況にいる人がいるなら、なおさらこっちが元気でいてあげないと、助けられないしね。そうやって支え合うのが大事。」
メイリー「そうよね。さて、時間の都合もあるから、ここで“Here Lies the Heart”という曲をかけたいんだけど、これはすごく美しいメロディで私が大好きな曲。曲名の由来は?」
アンディ「これはいくつかの要素があって、まず曲名“Here Lies the Heart”は、フレデリック・ショパンの逸話にちなんでるんだ。彼はポーランド出身だけど、人生の後半はパリで過ごして、亡くなったあと遺体はパリの有名な墓地に埋葬された。でも彼は『死んだら心臓だけはポーランドに返してくれ』と姉に頼んでいて、実際に心臓だけはポーランドに戻されたんだ。それが保存処置を施した状態で、ワルシャワの教会に納められていて、そこに“Here rests the heart”(ここに心臓が眠る)と刻まれているんだけど、俺はそれを少しアレンジして“Here Lies the Heart”とした。
この曲は、パンデミック中に書いた一連の“Bitter Sweets: The Outlier Nocturnes”という作品群のひとつ。ショパンからの影響があちこちにあるし、彼の音楽に共通するような、ささやかな和音やタイミングで“胸を締め付けるような美しさ”が生まれる瞬間を、自分の中でも大事にしたいと思ってね。」
メイリー「わかる。あなたの曲を聴いてると、そういう心に迫る瞬間がメロディのなかにあるのよ。これは本当にあなたが作曲家だからこそ出せるもので、人生のいろんな出来事を音楽で表現する。私が知ってるだけでも、誰かの死を悼む曲や、赤ちゃんが生まれたときの曲、あなたが人生で通ってきた瞬間を全部音楽にしてきたじゃない?」
アンディ「まあ、そうだね(笑)。思い出深いのが、君がRAINを出産するとき、ジョージに『曲はできた?』って言われて、産科の病室にミックスを持って行って君に聴かせたよね。“Rain”って曲を書いて。最近その音源が出てきたから送ったんだよね。」
メイリー「そうそう。もう泣いちゃった(笑)。私が陣痛で苦しんでる横で氷を食べながら曲をかけてくれてたの、懐かしいわ。そうやって人生の節目に素敵な音楽を作ってくれて、私だけじゃなくて、ほかの人に対してもそう。例えばあなたの友人の娘さんが亡くなったときにも曲を作ったり、本当にたくさんの人のためにそうしてあげてる。」
アンディ「そういうのが自分にとっては自然なんだよね。感情を音楽で表すのが当たり前になってるから。」
メイリー「そう、それがあなたの最大の魅力。もう長年一緒にやってるけど、本当にあなたはメロディの泉が湧き続けてる。これからもどんな曲が生まれるのか楽しみで仕方ない。
では“Here Lies the Heart”をかけましょうか。アンディ、もう大好きよ。あなたが作る音楽も人柄もすべて素晴らしい。また年を重ねても、ミック・ジャガーやポール・マッカートニー、リンゴ・スターとかが80代になっても元気にステージに立ってるのを見たら、私たちもまだまだこれからだって思えるよね。」
アンディ「そうそう。リンゴは84歳でも元気にステージを走り回ってるし。見習わなきゃって気持ちになるよね。」
メイリー「あなたのこれからの新曲、そして私のジャズ・アルバムもいずれ実現させたい(笑)。そんな話もしつつ、今日は来てくれて本当にありがとう。1月11日のライブ、ニューヨーク、それからイタリアツアーもぜひ成功させてね。皆さんにも、アンディのライブを観ればきっと感激してくれると思う。いや、もしかしたらお金を返せって言われるかもしれないけど(笑)。私は自信を持っておすすめします!」
アンディ「ははは、ありがとう(笑)。」
メイリー「それでは“Here Lies the Heart”をお聴きください。終わったらまた少しお話して、番組を締めたいと思います。テキサス・ホームグロウン・ミュージックを引き続きお楽しみください。」
―――――――――――――――――――――
(曲“Here Lies the Heart”)
―――――――――――――――――――――
「はい、いかがでしたか。スタジオにアンディが来てくれると、私は本当に幸せな気分になります。音楽的なつながりだけじゃなくて、人生でも深く交わっている存在だから。彼が私の長男レインの出産時に病院に来てくれたという話もありましたし、娘のレイラのときもそうです。アンディも奥様のモニカも息子のアレックスも含め、家族ぐるみで大事な友人なんです。音楽の世界にとっても計り知れない才能を与えてくれている彼は、リアン・ライムスからオリビア・ニュートン・ジョンまで、さまざまなツアーに参加してきましたが、皆さんも機会があればぜひ一度生で観てください。アンディ・ティモンズで検索すれば、アンディ・ティモンズ・バンドやソロの映像、YouTubeなどにもいっぱいあります。どんな曲でも本当に素晴らしい演奏をしているのがわかるはず。
今回も聴いてくださった皆さん、本当にありがとうございます。メールもいつも嬉しいです。“[email protected]”に送ってくれたら、アーティストのリクエストなんかも受け付けますよ。頑張って連絡を取って番組に来てもらうよう努力します。
いつも言ってますけど、人生は愛してナンボ。自分が与えたものが自分に返ってくるんです。まさにそれが私のモットー。そして最後に、今回も“The Guitar Sanctuary”と“Burst Injury Law”に感謝を申し上げます。そして“Rook”という新しいスペースもマッキニーにできました。ぜひチェックしてみてください。
さらに“TMR29”についても、来週あたりに大きな発表がありますので、皆さんどうか注目していてください。今日の“テキサス・ホームグロウン・ミュージック”はここまで。また次回をお楽しみに。」
コメント